大変です。そうです。新紙幣が2024年に発行されます。
グッバイ諭吉、フォーエバー一葉、そして英世。
ということで、千円札の新しい顔は北里柴三郎です。
新千円札の北里柴三郎、私の性癖に刺さる pic.twitter.com/msPXue2gw7
— りんごちゃん (@abudarachan) April 8, 2019
皆さんも歴史の教科書で習ったことがあるかもしれませんが、端的に言えばすごい人です。
では今回はそんな北里柴三郎のすごさについてご紹介すると同時に、経歴や名言をまとめて参りましょう!
北里柴三郎が新紙幣に選ばれた理由
日本の医学界だけでなく、世界の医学界にも多大なる貢献をした北里は時代が時代であればノーベル賞さえ受賞していても不思議ではなかったと言われた多大なる医学者です。
偽造紙幣の防止なども含め、過去から20年単位で変更されており、その中の一人として歴史的な偉人の一人である北里が選ばれたということでしょう。
もちろん素晴らしいことですよね。
新紙幣1000円札の北里柴三郎の経歴
1853年1月29日に生誕した北里は、幼少期より闊達でありながらも几帳面な性格であったと言われ、1869年には藩校時習館に入学するも廃校となり、熊本医学校に入学。
そこではオランダ人教師で海軍医を務めていたマンスフェルトと出会い師事。
後に現在の東大医学部に進学しますが、当時は教授の論文にすぐに口を出すなど評判は良くなかったとのことです。
卒業後は内務省衛生局に就職し、ドイツベルリン大学に留学。そこでは、論文が高く評価されて欧州各国の研究所と大学からの招待を受けたと言われています。
後にそれらをすべて固辞して帰国するも、国内で学説を批判するなど敵も多く、厄介者扱いされ続けていたようです。
それを惜しんだ福沢諭吉は、北里を積極的に支援したといわれ、これが慶応義塾大学医学部創設のきっかけとなったとも。
内務省から退官後には北里研究所を作り、これが北里の没後に医学部の大学として知られる北里大学の母体になっているとのことです。
新紙幣1000円札の北里柴三郎の功績
1889年、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功。
破傷風とは、当時傷にばい菌が入ることで起きてしまう病気で、死亡原因の最も高いものと言われていました。
そして、その翌年には破傷風菌の毒素を中和する抗体を発見し、この抗体を含んだ血液を投与する。
これで破傷風などの感染症を抑える「血清療法」を開発したのです。
その後も伝染病や細菌の研究にいそしみ、結核などの研究も進めたことで名高いですね。
日本で破傷風という病気があまり聞かれないのも、衛生管理が発達しているからにほかなりませんが、北里の研究によるところはとても大きいでしょう!
新紙幣1000円札の北里柴三郎の名言
「事を処してパイオニアたれ。人に交わって恩を思え。そして叡智をもって実学の人として、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を貫け」
これは門下生に対して述べた言葉と言われていますが、病気になってから対処するのではなく、病気にならないような予防医学を身に着けるという点でパイオニアとなった人でもあります。
まさに前人未踏の場を歩き続けたものだからこそ、言える言葉でもありますね!
新紙幣1000円札の北里柴三郎の功績・経歴まとめ
いかがでしょうか?
今回は北里柴三郎についてまとめました。
自分の研究だけでなく、後進の育成にも目をかけていた北里は研究者でありながら教育者であると言われた理由が良く分かりますね。
纏めますと……。
- ノーベル賞受賞も夢ではなかった?
- 血清治療と予防医学のパイオニア!
- あの大学の医学部を作った人!
こちらのようになりました。
立派な方で、頭も切れる人だったんでしょう。だからこそ対立もしたのでしょうが、その分だけ素晴らしい業績も残していると言えます!